たいていの方がご存知の「臨床心理士」に別の漢字をあてがったものです。
したがって、「りんしょうしんりし」と読みます。
一言で言えば、人生の師匠とでもいったところでしょうか。
「生に臨むうえでほんとうのところを、見習うべき姿として伝えてくれる人」、と言ってもいいかもしれません。
関連思想とか、関連思想家といっても、それは上記のような「臨生真理師」という意味であって、それは当然、ひとりひとりによって異なるでしょうし、有名無名とか歴史上の有名人とか存命の知人といったことを問いません。
「臨床心理士」が、ひとまずは心の問題に向き合う職業人(「士」)だとすれば、「臨生真理師」は、諸々の対話を通して人生や魂の問題に向き合う全人的関係における「師」であるといえるかもしれません。もちろん、「臨床心理士」の中にもそのような人はいることでしょう。
生きていくうえで、思想家であれ身近な人であれ、「臨生真理師」と呼べるような人がいることは幸いなことだろうと思います。互いにそういう人を見つけるなり、そういう人との交流を通して人生を深めたいものです。
「関連思想」の項でご紹介するのは、あくまで、「私の臨生真理師」としての思想家であり、しかも、ある程度名の知れた人です。あまりにも個人的な関係を紹介してもその方のプライバシーに差し障るので、名の知れた思想家を紹介しようと思います。あくまで、「私にとっての」という一例であり、繰り返しますが、その人を豊かにする思想家や人物との出会いはやはり人それぞれなのだろうと思います。
(*念のために断っておきますが、「臨生真理師」は資格でも何でもありません。)
また、「臨生真理師」という言葉には、もう一つの意味を込めています。
「ある思想家の思想を「学説」として解釈・研究するのではなく、あくまで、魂の糧・生きる指針としてのメッセージとしてそのエッセンスを受け止め、自らの生に活かすのだ。」
という立場を明確にしたいのです。
思想研究やアカデミズムでつい陥りがちな、訓詁学的解釈や単なる博識ではなく、その思想家からどのようなメッセージを受け止め、自らの生に活かすのか、ということが肝心であるという立場です。「臨生人間学」的に思想家に向き合うとは、そのようなことであるかもしれません。
しかし、思想研究やアカデミズムにおいても、真摯にそのような態度で向き合って、自らの生を通して解釈し実践し発信している学者の方々もおられることは事実であり、一概に、研究者やアカデミズムを批判しているわけではありません。
どのような場所や職業や立場であろうと、結局は態度の問題なのです。